2009年03月31日

今元 寛さんのご逝去を悼む

昨日、イマモト印刷会長の今元寛さんが亡くなられた。
昨年の6月に悪性リンパ腫がわかり闘病生活を続けられていたが、前々日に自宅に戻り急変され、子供や孫に看取られながらの大往生であった。

私と今元さんの出会いは、私が大阪のナニワ印刷に修行に出ていた時、父の大腸癌の発病で急遽広島に戻った頃から始まる。
2年後に父が亡くなり27才で社長になった時、色々と相談に乗って頂き「広島青年印刷研究会(青印クラブ)」への入会を勧められた。毎月、会報を送ってもらい温厚で親切な人柄から断り切れず入会した。そして、これが私の印刷人生を激変させた。

版下のデジタル化に早くから取り組まれ、お世話になった回数は数え切れないほどだ。
社長職を娘に譲り会長になられてからは、悠々自適と思いきやパソコンに取り組まれ自社の売上などの経理を独学で勉強し、PCに強かった私も及ばずながらお手伝いした事を思い出す。

体の不調から酒を止められ、回復されても「ちっとも飲めんようになった…」と嘆いておられたが、2〜3年後印刷工業組合の会合の後「ちょっと飲みに行かんか」と誘われ二人で流川をハシゴした。
「今日は酒が美味しい。飲めるわぁ」と楽しんで頂いた。
仕事のことや戦争のこと、人に好かれる人でありながら反骨の人でもあった。

私が小学校の先生に原爆について言われた言葉、
「どんな事があっても、人が人を殺してはいけません。」
「どんな理由をつけようと、人に人を殺させてはいけません。」
を話すと「あんたは良い先生に出会ったのぉ。」と我が事のように喜んでくれた。

その後、何度か飲みに行ったが何時も奢ってくださるので段々と遠慮するようになったが、「わしくらいの歳になったら寂しいもんじゃ、あんたらの歳なら1億でも2億でも使えようが、わしは死ぬまでに一千万もよう使わんのじゃ。飲み代くらい遠慮してくれるな。」と言われその日に飲みに行った。

二人で「反骨」について語り合った。
「反骨だけじゃだめなんよ。そこに人を愛する気持ちと優しさがなければ偏屈と変わらん。」深い言葉だった…

そして今元寛さんは逝った。
又一人、人生の師を失ってしまった…
「反骨と人間愛」という大きな宿題を私に残して…


合掌
posted by dreams at 14:25| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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